企業・団体の挑戦interview①深江管細工保存会
―20年に一度しか出番がない。それでも、この技術を残したい理由― 20年に一度。 人生で何度も立ち会えるものではない時間の流れの中で、静かに受け継がれてきた技術があります。 大阪市東成区・深江。 ここには、伊勢神宮の式年遷宮や天皇陛下の大嘗祭で使用される「菅笠」を作り続けてきた、深江菅細工という伝統技術が残っています。 華やかさも、派手なPRもありません。 それでもなお、「失われてはいけない...
―20年に一度しか出番がない。それでも、この技術を残したい理由―
20年に一度。
人生で何度も立ち会えるものではない時間の流れの中で、静かに受け継がれてきた技術があります。
大阪市東成区・深江。
ここには、伊勢神宮の式年遷宮や天皇陛下の大嘗祭で使用される「菅笠」を作り続けてきた、深江菅細工という伝統技術が残っています。
華やかさも、派手なPRもありません。
それでもなお、「失われてはいけない」と守られてきた理由とは何でしょうか。
今回は、深江菅細工保存会の笠野さんと只石さんに、その想いと現状を伺いました。
Q1 深江菅細工とは、どのようなものなのでしょうか。
笠野さん:
深江菅細工は、伊勢神宮の式年遷宮や天皇陛下の大嘗祭など、国の重要な神事で使われる菅笠を作る技術です。
また、伝統的な神事のものだけでなく、菅で細工している笠、小丸、釜敷、円座なども深江管細工の一つです。
神事に関わるものは、長い間、外に広く知られることはありませんでした。
最近はメディアに取り上げていただくことも増えましたが、地元の方でも「そんな文化があったことを初めて知った」という声は少なくありません。


Q2 なぜ深江で菅細工が発展したのでしょうか。
笠野さん:
この地域はもともと湿地帯で、菅(読み:すげ 湿地や野原などに生えるイネ科スゲ属の植物で、昔から生活用品や屋根材などにも使われてきた。)がよく育つ土地でした。
奈良の方から笠を縫う一族が移り住み、ここで菅笠づくりが始まったと言われています。
江戸時代には伊勢街道を通る人たちが、深江で道中笠を買ってお伊勢参りに向かう、という文化もありました。
当時は、日除けや雨除けとして、生活に欠かせない存在だったんです。
Q3 そこから、なぜ衰退していったのでしょうか。
笠野さん:
時代の変化ですね。
洋傘や帽子が普及し、生活様式が変わるにつれて、菅笠の需要は減っていきました。
最終的には、深江で技術を継承していた家は一軒だけになってしまいました。このままでは、20年に一度の式年遷宮で奉納する笠が作れなくなる。
その危機感から、保存会が立ち上がりました。
Q4 現在、保存会ではどのような活動をしていますか。
笠野さん:
式年遷宮に向けた菅笠づくりを中心に、技術の継承を目的とした活動をしています。
体験講習会や展示、小学校での体験学習などを通して、まずは「知ってもらう」ことを大切にしています。
只石さん:
会員は現在11名で、平均年齢は70代です。
笠野さん:
若い世代が少ないことは、大きな課題ですね。


Q5
技術継承というと『職業化』を連想しがちですが、無償という形で活動している理由を教えてください。
只石さん:
販売や収益を目的とした団体ではなく、あくまで技術を守り、神事につなぐことが目的です。
神事に使われるものを、ビジネスとして大量に作ることには違和感があります。
だからこそ、若い人を雇って仕事としてやってもらう、という形は考えていません。
20年というスパンですし、まずは、技術の継承を軸に考えています。


編集後記
深江菅細工の話を聞いて感じたのは、「挑戦=新しいことを始める」だけではない、ということでした。
派手さはなくても、誰かが守り続けなければ、確実に消えてしまうものがあります。
今すぐ何かを背負わなくてもいい、でも「知ること・関心を持つこと」自体が、未来につながる一歩になります。
20年に一度の技術を、100年先につなぐために、私たちができる挑戦は、もう始まっているのかもしれません。
この記事を書いた人
SoraMedia編集部
他の記事
